南洋学院から南学へ
►1942年:日本国外務省に属する南洋協会がサイゴンで南洋学院という専門学校を設立した。
►1945年:第二次世界大戦終戦。3年未満の運営を経て、南洋学院が閉校した。一期生30名、二期生30名と三期生52名は第二祖国サイゴン(現ホーチミン市)で青年時代を送った。帰国後、同窓生の状況を知り合う為各クラスが連絡係を設置した。南洋学院は同窓生全員の共通の思い出であり、「南学」と回想的で愛情を持った呼び方になった。
►1988年5月:ヴェトナム知人の招待を受け、蛭川弘忠先生と三期生の7名 がヴェトナムに足を運んだ。蛭川先生はヴェトナムの再設計に何か貢献したいと急き立った。
►1988年~1989年:蛭川先生が数回にヴェトナムを訪問、ヴェトナムを助ける機会を探し始めた。
►1989年:三期生の松本ソウ先生が「蛭川基金」の設立を呼びかけた。設立初期、この基金は蛭川先生がヴェトナムへ訪問する交通費の一部しかカバーできなかった。徐々に、「蛭川基金」 は三期生からヴェトナムへの援助基金になった。蛭川先生はヴェトナムの現状を見ると、適切な援助方法は日本語を教えることだと判断した。
►1989年11月14日:旧南洋学院会総会を準備するための準総会が開かれた。目的はサイゴンに南洋学院の名前を残すためである。
►1989年―1990年:日本語学校を設立するため、蛭川先生は幾度もヴェトナムに訪問した。ハノイ外商大学の日本語科、教育訓練省、ホーチミン市総合大学(当時)に足を運んだ。
►1991年4月7日:日本とヴェトナム双方の準備が万端に整い、旧南洋学院会が「日越文化協会」の設立を決め、東京に事務所を設置した。正会員43名、スポンサー4社の33名の他、多くの観客が会議に参加した。協会の活動計画の一つは「ホーチミン総合大学(現在は科学社会人文大学)に付属する日本語センター」を設立することであった。
►1991年4月17日:日越文化協会がホーチミン総合大学と「南学日本語クラス」の開講契約を交わした。
南学日本語クラス及び教育形式
教育期間:2年(初中級1年、上級1年)、5時間/日、5日/週(月~金)
教育レベル:およそ2,000時間に渡り、日本人教師の指導を受け、LL室や図書館を完備により、南学日本語クラスの目標は一級レベルに相当する能力を身につけることである。南学生徒は全ての学費を免除される上、教科書及び辞書等を無料で支給された。
南学日本語クラス-設立や発展
►1991年10月:ホーチミン総合大学付属南学日本語クラス第一期の開校式が行われた。入学試験を受けた2千人のうち、合格者は20人のみだった。その後、日越文化協会が南学日本語クラスの生徒を選択する入学試験を毎年行った。
►1993年7月:一期生が卒業するに当たり、南学日本語クラスはホーチミン市の最良日本語教育拠点に名立たった。南学の名前はヴェトナム国内に広がり、各学校や機関の関心を集めた。
►1993年3月:ヴェトナム中部に日本語クラスを開く必要性に基づき、またフエ師範大学の要請を受け、日越文化協会が当校と文化教育契約を交わした。
►1993年9月:フエ師範大学付属南学クラス第一期が開校された。両校の生徒選抜及び教育内容は同様である。
►1998年9月:日越文化協会の経済的な状況が悪化したため、ホーチミン総合大学付属南学日本語クラスの入学試験が中止された。
►1999年9月:スポンサーがついた為、ホーチミン総合大学付属南学日本語クラスの入学試験が再開された。
►2001年7月:日越協会協会の経済的な状況により、南学日本語クラスは廃止された。ホーチミン市社会科学人文大学八期やフエ校六期を終え、生徒数の合計240名を送り出す成果を収めた。
南学日本語クラスとグローバル・ヒューマン・サポータ(Global Human Supporter – GHS)
南学日本語クラスが閉校される危機に直面したときに、G.H.S.の本田先生が南学日本語クラスを訪問した。本田先生が南学日本語クラスを継続することを決定した。
►2001年9月:G.H.S.により南学日本語クラスが再開された。
►2005年9月 G.H.Sよりサイゴンレンゲージスクールに於いて越初のGHS1(第13期南学日本語クラス)が再開され、訓練形式は南学日本語クラスと同じ。
►2006年7月:ホーチミン市総合大学との契約期間が完了したため、南学日本語クラスが卒業する十二期生と同時に、南学日本語クラスは正式に閉校された。
►2006年9月 GHS1に次いで、GHS2(第14期南学日本語クラス)が開講された。
►2007年 南学日本語同窓会、ホーチミン市師範大学、GHSとともに、ホーチミン市師範大学に於いて、第15期南学日本語クラスーGHSを開講することで合意した。
►2007年9月 第15期南学日本語クラスーGHSが開講された。
►2008年9月 第16期南学日本語クラスーGHSが開講された。
南学日本語クラスの成果
15年の経過、在ホーチミン市南学12期生徒205名と在フエ市南学6期生徒110名を送り出した。卒業生は日系企業・日本の機関に勤めたり、日本と貿易をする会社を設立したり、数名は日本に留学・就職・生活するなど各方面で活躍している。
南学日本語クラス同窓会の設立
►2006年8月5日:日越文化協会が南学日本語クラスを閉校するお別れを開いた。多くの卒業生が参加した機会に南学日本語クラス同窓会を設立することに決定した。南学日本語クラスを維持することを熱望したため、「南学日本語クラス同窓会会」に改称した。
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南学日本語クラスの設立
べトナムにおける日本語教育活動の概況─ホーチミン市における学校外教育活動を中心にして─べトナム日本人材協力センター(ホーチミン市)
1.ベトナムおける日本語教育の位置付けと概況
国際交流基金実施の1998年度調査において,ベトナム全土の日本語学習者は約1万人と推計された。うち,30%(約3000人)が首都ハノイ,70%(約7000人)が,ホーチミン市および近郊の日本語学習者である。その後も,ホーチミン市における日本語学習者は増加の一途を辿り,2003年3月現在,ホーチミン市内だけでも約1万人が日本語を学習しているとみられる。一方,ハノイにおける日本語学習者数も4000名を越えている。 首都ハノイにおいては,国立大学4校,私立大学2校において日本語教育が行われ,日本語運用力が高い教員が多数いる。しかしながら,継続的に運営されている民間日本語学校は3校のみである。高等教育機関における教育が充実している一方で,日系企業の進出が少ないため日本語学習が経済的利益に結びつきにくい状況が影響していると考えられる。 ホーチミン市及び近郊においては,高等教育機関(国立大学2校,私立大学4校)において第一外国語として日本語を学習している学生約2000名と,民間日本語学校における学習者が8000名以上が存在する。一般社会人向けに日本語教育を行っている機関は,民間日本語学校と大学付属外国語センターが中心となり,25機関(2003年3月現在)ある。それ以外に私塾,企業内教育も多数存在する。 中部地域においては,フエで1993年から2001年まで大学付属機関として日本語学校が運営されていたが,現在は閉鎖されている。また,ダナンでは,外国語大学における第二外国語,及び大学付属外国語センターと民間日本語学校1校で教育が行われている。 なお,1998年度調査において中等教育機関1校での日本語教育が記録されているが,該当機関はインターナショナルスクールであり,日本人子弟向けの日本語教育が実施されている。 2003年2月に,教育訓練局より,中等教育における日本語教育の実施計画が通達されたが,現在のところ,ベトナム初等中等教育機関における日本語教育は行われていない。
2.正規学校教育以外における日本語教育活動の概況
─ホーチミン市及び近郊を中心にして─ 1975年以前の旧政権下においては,サイゴン大学付属外国語学校ならびに日本大使館に日本語講座が開設されており,国際交流基金から専門家が派遣されていた。しかし,現政権になって以来,日本語教育が本格化したのは,1990年代に入ってからのことである。1991年に,ホーチミン市総合大学付属南学日本語クラスが開校し,南部地域の大学卒業生から選抜された者を対象として2年間2000時間の集中日本語教育が始まった。大学付属ではあるが,運営基盤は日本に本部を置く民間非営利団体である。その後,1993年,ホーチミンベトナムにおける日本語教育活動の概況